M's DIARY
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JGAS2009 / 東京ビックサイト
今週は東京へ出張。印刷、パッケージ業界の日本最大の機械展示会 JGAS2009 を見学に行くためである。今年の春に大阪インテックスにてA-PACKとJP2009にいってきたがそのときの記事にもあるとおり出展数が少なく非常に寂しい状況。こういった混沌とした時代ですから色々なトレンドや情報を掴みたいので思い切って東京まで足を伸ばしたのである。
東京に着いてこの長引く不況にもかかわらず人々の動きには活気がある。野心や希望を持って人々が集まる街、東京である。新幹線を降りて品川から新橋へ。私が東京在住時に少しだけこのエリアにある支店で務めていたころがあるが、相変わらずの混沌とした駅前の雰囲気。しかし無人モノレール「ゆりかもめ」にのると雰囲気は一転する。フジテレビ本社をはじめ新しいオフィスビル、商業施設、マンションが出現する。そんな中展示会場である東京ビックサイトに到着した。

わたしが東京在住のころにはこの施設は無く、幕張メッセがその役割をもっぱら担っていたのでこの施設には初めて足を踏み入れる。規模としてはさほどではないが非常に合理的な展示場だと感じた。大阪のWTCやATCが閑散としていてインテックスの衰退振りをみてきただけに東京と大阪の勢いの差を感じざるを得ない。大阪府知事がなんとしても湾岸地域の再開発をするために府庁移転を提案しているが交通が不便であるとかなんとかいってききれない議会には辟易する。大阪は情報発信の役割を放棄するつもりなのか。大阪の地位向上よりも府議や府職員の通勤時間が問題なのか、議会の面子の方が大事なのか。

とにもかくにも会場に入った。電車でアクセスする人はまばらだったが会場は一杯の大盛況。それもそのはず、都内にはほとんどこういった業界の工場は無く、ほとんどが郊外に移転している。おそらく車でのアクセスとなっているのであろう。

会場では大阪では見なかった機械がずらっと並んでいる。大阪インテックスでは1台しかなかった4色印刷機が10台以上は並んでいた。その他にも大型の機械が所狭しと並んでいる。

なかにはラッピング自動車の実演などユニークなものもあった。

見たかったトムソン機やサンプルカッター等もあったが大企業の大きな産業機械に押されて中小の小ロット生産にむいた機械の出展が少なかったのが残念であり、パッケージ関連のトムソンやサック、箔押し、印刷機などが少なく、ダンボールに関しては皆無だったのも業界的な不調を反映したものかもしれないが残念至極である。
ただ、かなりの収穫もあっったのも事実であり、情報から取り残されないためにも、大阪からの情報発信能力が失われている現在では定期的に東京に出向く必要を感じた。
東京に着いてこの長引く不況にもかかわらず人々の動きには活気がある。野心や希望を持って人々が集まる街、東京である。新幹線を降りて品川から新橋へ。私が東京在住時に少しだけこのエリアにある支店で務めていたころがあるが、相変わらずの混沌とした駅前の雰囲気。しかし無人モノレール「ゆりかもめ」にのると雰囲気は一転する。フジテレビ本社をはじめ新しいオフィスビル、商業施設、マンションが出現する。そんな中展示会場である東京ビックサイトに到着した。

わたしが東京在住のころにはこの施設は無く、幕張メッセがその役割をもっぱら担っていたのでこの施設には初めて足を踏み入れる。規模としてはさほどではないが非常に合理的な展示場だと感じた。大阪のWTCやATCが閑散としていてインテックスの衰退振りをみてきただけに東京と大阪の勢いの差を感じざるを得ない。大阪府知事がなんとしても湾岸地域の再開発をするために府庁移転を提案しているが交通が不便であるとかなんとかいってききれない議会には辟易する。大阪は情報発信の役割を放棄するつもりなのか。大阪の地位向上よりも府議や府職員の通勤時間が問題なのか、議会の面子の方が大事なのか。

とにもかくにも会場に入った。電車でアクセスする人はまばらだったが会場は一杯の大盛況。それもそのはず、都内にはほとんどこういった業界の工場は無く、ほとんどが郊外に移転している。おそらく車でのアクセスとなっているのであろう。

会場では大阪では見なかった機械がずらっと並んでいる。大阪インテックスでは1台しかなかった4色印刷機が10台以上は並んでいた。その他にも大型の機械が所狭しと並んでいる。

なかにはラッピング自動車の実演などユニークなものもあった。

見たかったトムソン機やサンプルカッター等もあったが大企業の大きな産業機械に押されて中小の小ロット生産にむいた機械の出展が少なかったのが残念であり、パッケージ関連のトムソンやサック、箔押し、印刷機などが少なく、ダンボールに関しては皆無だったのも業界的な不調を反映したものかもしれないが残念至極である。
ただ、かなりの収穫もあっったのも事実であり、情報から取り残されないためにも、大阪からの情報発信能力が失われている現在では定期的に東京に出向く必要を感じた。
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